山口県立美術館で展示されている香月泰男氏が描いたシベリアシリーズの抽象画からは、人権を奪い取られた者が感じる最大限の恐怖が滲み出ていた。これらの絵画を鑑賞しながら、今は亡き恩師の一人が折に触れて語られていた陸軍獣医(*当時は軍馬がいたために獣医が従軍した)としてシベリアに抑留されたときの話を回想した。これらの絵画は、シベリア抑留の、広くは戦争の、もっと広くは人権を奪われるということの悲惨さを伝える貴重な表現物なのだと感じた。今も、地球のどこかで、もしかしたら日本のどこかで、絵画で表現されたような状況に苦しむ人はいるのだろう。
戦争から解放された心境を反映させた作品も描いているに違いないと思い、後日、それらを探しに長門市三隅にある香月泰男美術館に行ってみた。シベリアシリーズの正反対の「明るい陽側」は、意外にも絵画ではなく彫刻として表現されたのであろうか?(*館の外と中庭の彫刻は撮影可能とのこと)。売店にあった画集、中でもタヒチのスケッチにも惹かれたので、それは当院待合室用に購入させていただいた。
シベリア抑留中は、望郷の念に駆られていたであろうし、作品制作の合間にアトリエ近くの橋から故郷の風景を好んで眺めていたと紹介されていたので、郷里を描いた作品もあるのだろうと期待したが、見当たらなかった。自分が探し出せないだけなのか、それとも、それはずっとそこにあるものだから、作品として残すものではないと香月氏が考えたからなのか? 三隅の橋の欄干から香月氏の目にも映ったであろうアオサギやカルガモの姿は、昔も今もこれからも変わらないのだろうか?